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かっこいいクルマの心理

 

 

心理学のシロウトである私が、心理学のキーワードを元に、カッコイイ車を買う心理を探ります

(それは違う! というご指摘&専門家の方のご意見をお待ちしております)

 

 

 

パーソナリティの構成要素

 

リビドー(フロイトの考え方)

乳幼児期から存在する、心的活動に必要なエネルギーのこと

 

これをもとに、いくつかの段階を経ながら人は発達する、という考え方を「心理性的発達段階説」と言う

 

アイデンティティ(エリクソンの考え方)

 

主体性、独自性、過去からの連続性、主観的実存的意識や感覚。「これが私である」という実感
エリクソンは、発達段階をさらに8つに分類し、それぞれに対して肯定された場合と否定された場合のパーソナリティ構成要素を対にして示しました
一生は「乳児期」「幼児期」「児童期」「学童期」「青年期」「成人期」「壮年期」「高齢期」という8つの段階に分類されます
乳児期:「基本的信頼 対 不信感」
幼児期:「自立性 対 恥」
児童期:「積極性 対 罪悪感」
学童期:「勤勉性 対 劣等感」
青年期:「同一性 対 同一性拡散」
成人期:「親密性 対 孤立」
壮年期:「生殖性 対 自己停滞」
高齢期:「統合性 対 絶望」

 

それぞれの段階の時期において、どちらの要素を多く持ったかで人の成長と停滞を測ろうとする見方のようです

 

また、決して各段階への移行は不可逆的なことではなく、戻ることもできるようです

 

人間は誰しも、この発達段階を進んだり戻ったりしているようです

 

得られなかった要素も、あとで獲得することもできる

 

 

人生、やり直せる、と言うことですね

 

 

そして、状況に応じて、パーソナリティを再構築することが、よく生きる上での一つのポイントです

 

 

また、その都度訪れるアイデンティティの危機にどう対処するかによって、得られるパーソナリティ構成要素は変わると思われます

 

 

(私の解釈)
だから、よりよく成長するためには、エネルギーが必要ですし、自分が自分である、と言う感覚を得ることが大事で、そのために日々をどう過ごすかが課題です
じゃないと、大きなアイデンティティの危機を乗り越えることが難しいことになるかもしれません

 

 

 

承認欲求

誰かから認められたい、と思うこと

 

 

マズローによる人間の基本的欲求の分類

低い段階から並べると、

生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求、承認の欲求、自己実現の欲求の5段階

 

 

まず最低限、生きる上での生理的な心地よさを求める欲求があり、次が安全に対しての欲求、次は帰属する場所への欲求、そして、認めて欲しい欲求を経て、最後は自分は自分であると感じたい欲求になります

 

認められたい、という承認欲求の位置付けは、マズローに基づけば上から2番目になります。わりと基本的な欲求というよりも、レベルの高い欲求と言えるんでしょうか?

 

 

同調

自分の意見とは違う他者の行動や意見、あるいは自分に対する期待などによって、自分の意見や行動をその他者に合わせて変えること

 

なお、これが起きる原因として2種類の影響があります

 

情報的影響
正しい判断を行いたいという欲求による影響。周りがそうしているから、という理由での選択をしている場合は情報的影響が強い

 

規範的影響
他者からの欲求に応えたいという欲求による影響。周囲の期待に応えようとする場合は規範的影響が強い

 

 

ラベリング理論(逸脱行動論の考え方)

逸脱などの行為は、行為者の内的な属性ではなく他者からのラベリング(レッテル貼り)によって生み出される(ベッカーの考え方)

 

ネガティブなラベルのことをスティグマという

 

 

ということは、
ブランドは ポジティブなラベルなんですかね?

 

 

 

拡張自我(社会心理学の考え方)

いいものを持つことによって自信を持ち、自分の自我を拡張しようとする行為

 

 

 

ハロー効果(社会心理学の考え方)

ある対象を評価する時に、それが持つ顕著な特徴に引きずられて他の特徴についての評価が歪められる現象のこと。バイアス、歪められた偏見

 

ハローとは、聖人の頭上に描かれる光輪のこと

 

 

 

外見のいい人が信頼できると感じてしまったり、汚らしい格好の人が信頼できない人と感じてしまうのはハロー効果のため、と考えられます

 

 

人は見た目が9割、というのは、こういうことなのかもしれませんね

 

 

ユニフォーム効果

着ている服装が持つイメージ・期待に合わせて意識が変化するという効果。なお、それが集団になると、仲間意識ができる効果がある

 

逆を言うと、ユニフォームを着せちゃえばわりと意識を操作できる、と言う側面もあります
制服を改造したりスカート丈を短くしたりするのは、そういった抑圧に対する反発なんですね、きっと

 

 

 

カッコイイ車を買うとどうなるのか?

 

定義「カッコイイ車=高級車」と言うことにしますネ

 

 

心理学用語から考えると、

 

 

カッコイイ車を持つことで、アイデンティティを確立する効果、他人から認められる効果、ハイソな人たちの仲間入りをするという同調効果、ユニフォーム効果による自分の性格を変える効果?

 

が得られるという利点がありそうです

 

 

 

改造に向かうかどうかは、おそらく逸脱するかどうかであり、それは周囲からのスティグマと自身の発達段階におけるパーソナリティ構成要素が関わりそうです

 

 

お金さえ出せば、ワイルドにもエレガントにも、安っぽくもなれる

これは一種のユニフォームであり、ペルソナ(仮面)なんでしょう

 

 

さらに、自己表現でもあり、承認の欲求でもありそうです

失った自分を取り戻すためにカッコイイ車を買う、ということもありそうですね

 

 

 

幸せの鍵は、仕事の満足度と性格

 

幸せ、という場合に尺度がいろいろあります

ただ、人間は1日8時間働くとすると、日中の半分は仕事に使わざるをえない

 

 

だから労働の環境は大事だし、仲間づくりという点で社交的だったりユーモアがあることは利点です

 

人生の悩みは職場の人間関係が大きかったりするのも、これが影響します

 

 

また、性格によって、人は物事の捉え方が違います
なので、幸せを感じようとするなら、性格、考え方を変えることが有効になります

 

 

考え方を変えるのが手っ取り早い、といっても、すぐには変えられないかもしれません。そんな時、持ち物を変えることでその力を借りることでもできます

 

そのための、カッコイイ車、ということもあるでしょう

 

 

ここで、私も一種のブランドを借りてみようと思います(笑

ノーベル経済学者のリチャード・セイラーの学説です

 

 

 

心の会計

 

メンタル・アカウンティング(心の会計)とは、リチャード・セイラーが提唱した考え方

 

お金に関する行動を評価し、管理し、記録するために無意識に用いる心理的な操作のことをメンタル・アカウンティングと呼ぶ

まず、前提として、人間は完全に合理的に判断してものごとを決めているわけではありません

 

お金に関する意思決定をする時は、合理的に決めるのではなく、狭い枠組み(フレーム)を作り、そのフレームの中で決定を行なっています

 

お金の意思決定をする場合には、そのフレームにこだわってしまい、合理的な決定ができなくなってしまいます

ギャンブルで得たあぶく銭は、パーっと使ってしまうことがありますよね?

一方で、必死に働いて得たお金は、そんなことはない

 

 

この差はなんなのか?

お金の勘定をするときに、臨時収入の時間の尺度と、必死で働いて得たお金の尺度が違っている、ということが鍵になっているようです

 

お金には色がついているわけではなく、同じ1万円は1万円なのですが、急に入ってきた1万円はすぐ消えて、長い期間をへて入ってきた1万円はそうではない。1万円の価値は変わらないのに、なんで消費行動が違うのだろう?

 

あるいは、割引券をもらうと、その割引分以上に物を買ってしまう

これも実はおかしなことです

割引券も一種のお金だとすると、その額面の価値しかないはずなのに…

 

 

 

こういったことを解明しようとしたのがメンタル・アカウント(心の会計)です

 

つまり、人間の行動は合理性だけでは判断できず、影響を与える要素によっていくらでも変容する、ということです

 

 

 

 お金があっても幸せになれるわけではない

 

ですが、お金があっても、幸せ?という人は世の中にいます

 

お金があれば、不自由はしないけれど、逆に、今度は虚しさみたいなものが襲ってきたりするみたいです

 

それは、お金を得ることで、目標を失うからではないか?と私は考えます

 

同じ花でも、造花と分かった瞬間、興味が失われたりしませんか?

それって、その中身を知ってしまったから、だと思います

 

 

それと同じで、

お金を持つことに憧れて、一生懸命頑張ったんだけど、いざ持ってみたら、想像と違って案外退屈だった、という現実が訪れた場合に起こりうることなんだと思います

 

 

 

何が言いたいのか、というと…

 

カッコイイ車についていうなら、お金を出せばカッコイイ車は買えます

カッコイイ車に乗ることで、心理的な満足を得ることができる

 

ですが、カッコイイ車を持った瞬間に、それに対する興味を失う場合もあるだろうし、過度にそういった高価なものを保有しようとすること(ブランド品を買い漁る、などの行為)は、果たして本当に人生を豊かにしてくれるのだろうか?

 

という疑問です

 

 

カッコイイ車に効果があることはわかるんですが、その持ち主はカッコイイの?ということです

 

その場合もあるでしょうし、そうでない場合もあるでしょう

 

だから、

カッコイイ車 = 幸せ

 

 

とは言い切れない

 

カッコイイ車に乗ることで、カッコよくなる、という要素はあるんでしょうけれど…

 

メンタルアカウント的に見れば、そこには合理性の入る余地はない、のかもしれません

 

だから、欲求、欲望そのもの、とも言えるのかもしれません

 

難しいところです…

 

 

こう考えると、カッコイイ車は悪魔的な存在に見えてきますね…

悪魔(メフィストフェレス)に心を売る代わりに力をもらったファウストみたいですが…

 

 

 

長すぎるまとめ(読んでくれたら嬉しいです)

 

『ファウスト』は、こんな話です

学問を極めた結果、「われわれは何も知ることはできない」と絶望したファウストは、自殺を企てるがあることに感動しそれを思いとどまる。そこに悪魔メフィストフェレスが現れ、メフィストフェレスが奴隷としてファウストに仕える代わりに、世界のすべてのことを体験させよう、と誘惑する。その代わり、ファウストは「止まれ、世界は美しい」と言ったらメフィストフェレスに魂を与えることを約束する。悪魔の力で若返ったファウストは、1人の女性グレートヘンに恋をする。結果的に、グレートヘンはファウストの行った行為が原因で牢獄に繋がれ、獄死することになってしまう。魔力を身につけ「大きな世界」での遍歴に入ったファウストは、神聖ローマ皇帝の命で闇の世界に下り、ギリシャ神話の世界へと旅立つ。今度はメフィストの力を借りて大事業を成し遂げようとするが、罪を犯す。メフィストフェレスらが彼の墓を掘る音を建築工事のつるはしの音に聞き違えたファウストは、人々の役に立つことをしていることの幸福感から、「時よ止まれ、おまえは美しい」と言ってしまう。メフィストフェレスとの賭けに破れたファウストは死ぬが、その魂はかつて恋し死なせてしまったグレートヘンの天上での祈りによって救われる。

 

いわば、自分の欲求(ある意味では魂?)を満たそうとして、悪魔に魂を売ったら、結果とんでもない迷惑を周りにかけてしまったファウストが、最後は勘違いして死んでしまうのだけれども、最後にその魂を救ったのは、結局、なんでもかなえてくれる悪魔ではなく、かつて愛して迷惑もかけて死なせてしまったグレートヘンだった、ということです

 

果たして、カッコイイ車というのは、グレートヘンなのでしょうか、それとも悪魔メフィストフェレスなのでしょうか?

 

私には、きっと100年経ってもわかりません

 

でも、私もいつか、カッコイイ車に乗りたい! それが偽らざる本音です。

 

 

 

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