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クルマのブログ

商品がたどる道 コモディティ化した車と業界の未来

2020年2月14日

車のコモディティ化は不可避のようです
鍵を握るのは、中間業者としての部品メーカーの動向だと思われます

コモディティとは?

コモティディ = 商品 の意味

コモディティ投資、という場合は、商品先物市場で取引される原油などのエネルギー、金などの貴金属、大豆やとうもろこしなど穀物、といったように、コモディティ(商品)に投資することをいう

コモディティ化とは?

あるカテゴリーの商品が、製造メーカーや販売会社ごとの機能や品質の差とは無関係に、経済価値が同じになっていくこと

この状態に至ると、商品はメーカーごとの個性を失い、消費者はどのメーカーが製造した商品を購入しても差がない状態になる。日用品化、必需品化していく、ということ

商品がたどる道

高付加価値商品 → 価値の低下 → 一般的な商品へ → 価値の低下 → 日用品化

あるいは、別の経済学的概念では
上級財 → 価値の低下 → 下級財

贅沢品から下級財への流れだとすると、車という商品は、お金があったら車ではないもっと違うものを買う、と言うくらいのものになるわけですが…

それは、なんだか車離れにも通じてきそうな話ですね

何が起こったか?

かつての電機メーカーでは、設計開発、製造、販売までが全て1社体制で行われていました

それが、現在では、設計のみ行い、製造は他社に任せ、販売も他者に任せているケースがあります

それが可能になったのは、市場が成熟したことと、それによりより安価な製品が出回るようになったことです

コストを抑えるために、その安い製品を取り入れることで、自社の製品もコストダウンできる、という流れですね

いわば、中間業者が出来上がってきた、ということになるかと思われます

そうすると、中間業者の技術が上がって、より安価で高性能な製品を製造するようになると、製造はそちらに任せた方が効率的

電機メーカーも、製造に専念するよりは設計や販売などに注力した方が得

となってきたわけです

それは、どの製品にも技術的差異が見られなく、製品のレベルが同じになってきてしまったことの裏返しです

なので、少しでも差異をつけるため(価格、機能)中間業者を利用しながら、より付加価値の高い製品を作るべく設計開発に注力する、とした方がメリットが大きい

あるいは

携帯電話の世界で言うと、

携帯電話はハードウェアとしての電話と、その上に乗っているソフトウェアとしての電話があります

機械としての電話は小型化、高機能化していった結果、全てが小型で高性能になりました

そして、差があまりない

そのため、ソフトウェア、その電話で何ができるかを開発することで差をつける方向に進んでいますね

携帯電話の場合は電車のようなところがあって、一定の料金を課金することができます

機械としての携帯電話を供給する会社より、その規格を作っている会社だったり、毎月の通信料を課金している電話会社が大儲けする仕組みになっていますね

携帯電話は商品として価値が高いものですが、これも生活必需品化しています

と言う意味では、コモディティ化といえます

自動車もそうなってしまうのでしょうか?

自動車が目指す方向

トレンドは4つあります

  • コネクティッド化 Connected
  • 自動運転 AI
  • 共有化 Share
  • 電動化 EV

近年ではその頭文字をとって CASE と呼んだりします

この方向性が目指すものは一体何か?

高性能化に見えるのですが、電動化によりランニングコストのダウン、自動運転化で運転軽減、コネクティッド化で利便性向上、共有化で所有コストのダウン

ならば、
車に乗ることに対してお金をかからない方向に行っているのは確実ですね

かかるお金、と言う面で、贅沢品から汎用品へと向かうと言うことは、やはりコモディティ化していく、といえそうです

機能についても、もはや各メーカーに差異はあまりなく、カタログ上でいえば燃費や環境性能などの数値の競い合いになっている状況ですし…

コモディティ化を進めることで、産業として収益を上げる部門が変わってくることでしょうし、その結果、業界は大きく変わり、消費者の車についてのお金の支出の仕方も変わります

携帯電話のような課金システムになり、コネクティッド化によって当然のように通信カードが内蔵されるようになり…となっていくのかもしれません

好き嫌いは関係なくそうなってしまうのだとしたら、

少なくとも、今ある価値にしがみ付いてはいけない、ということは確実です

変化の先には、新しい未来、利便性がある
何より、死亡事故が減るかもしれない

運転の楽しみは無くなったとしても、です

車をピカピカに手入れして、ツーリングに出かけていた、というのが昔話になり、車というのはただの道具、乗り捨てるような半分使い捨てのものとしての扱いに変わっていく可能性だってあるわけです

憧れの対象から、どこにでもあるものへと変わることで、意識も変わっていくのは必然です

だから、

今の常識は未来には通用しません

将来

車のプラットフォームもモジュール化されていくと、生産設備を持たず、商品の企画設計開発に注力し、製造は他社に委託する自動車メーカーが現れてくる

自動車メーカーは、いずれ製造を扱うだけになる可能性も

動向の鍵を握るのは、むしろこの場合、部品メーカーになってきそうですね

当面は、それでも付加価値を上げて、運転が楽しい車を作ることに意義があるんでしょうが、時代が流れてコモディティ化していくと、車はあればいい、と言うものになっていくので、運転は趣味の世界のものに変わっていきそうです

そして、趣味の車と言うのは、恐ろしくブランド化された製品のような形になるかもしれません

と言う意味で、コモディティ化した車の生産とは別に、車は高級化路線をとることが必然となっていくでしょう(安い大衆車か、極端に高い高級車)

それで修理もあまりいらなくなるのだとすると、

車はまるで時計のような存在ですね

時計屋さん、カメラ屋さんがどう生き残ったかを調べれば、ヒントがあるかもしれません

とりあえずのまとめ

今ある自動車メーカーは車を売る会社ではなく、車というサービスを売る会社に変わっていくのでしょうか?そして、その時には、果たして車を作っているのでしょうか?

とにかく、車は今の形とは変わります

そして、今の意味で言えば、とても味気ないものに変わるはずです

その代わりに違った利便性が向上するはずです

その時、その味気なさが受け入れられるのか?

受け入れられてその方向に突っ走っていくのか?

それとも、運転を楽しむという要素が大事にされた状態で現状と違う形に発展していくのか?

それは未来にならないとわかりません

どうなりますでしょう?