日本の自動車産業の大きさ
名目GDP(産業別構成比)<2014 年> 約 2.4%(全製造業の約 13.1%)
輸出額<2015 年度> 約 18.1 兆円(約 24.5%)
参議院 自動車産業の現状と今後の課題より抜粋
https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2016pdf/20160701135.pdf#search=%27自動車+GDP+割合%27
国内のGDPに占める割合は2.4パーセントほどですが、輸出額では全体の4分の1程を占めています
自動車産業ないし自動車は、国外に対して輸出品として、価値が高いようです
経常収支とは
貿易収支、サービス収支、所得収支、経常移転収支の4つから構成される、国の国際収支を表す基準
- 貿易収支 モノの輸出入の収支
- サービス収支 外国とのサービス取引の収支
- 所得収支 対外直接投資や証券投資の収支
- 経常移転収支 政府開発援助(ODA)のうち医薬品などの現物援助
車は製品、モノなので、日本国内で製造した車が外国で売れれば、貿易収支が増える、ということになりそうです
ただ、外国で生産した車を逆輸入した場合、その分だけ貿易収支は減ります
また、ソフトウェアや著作権の輸出が輸入を上回ればサービス収支の黒字が、海外に投資して利益が投資額を上回れば所得収支の黒字が、海外援助すれば経常移転収支の赤字が増えることになります
経常収支黒字が示すもの
この経常収支が黒字という状態は、外国との貿易で得られたお金と支払ったお金のうち、得られたお金が多い状態です
過去の日本なら、単に貿易収支の大小でこの経常収支は測ることができたはずです
ところが、現在の日本企業は海外現地生産を行っています
そのため、日本国内にお金が入ってきたかどうかを、単純に貿易収支額だけでは判断することができない状態です
車の場合で言えば、
日本国内で生産した車の輸出が減ったとしても、外国で現地生産した車が売れていれば、トータルとしては企業の儲けであり、日本にとっても利益ですね
その場合、経常収支の黒字はもしかすると減っている場合がある
得られた利益は変わらなかったとしても、です
経常収支のGDPに占める比率は?
日本銀行より 日本の経常収支の対GDP比率の推移
https://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2011/data/ko110218a2.pdf#search=%27GDP+経常収支%27
これをみると、経常収支の比率は年々上がっています
つまり、
日本の豊かさ(国内総生産)のうちの貿易による部分の割合が増え続けている、ということです。しかも、モノ自体は減っているけど、投資などが増えた結果、全体として割合が増えた、ということになります
日本には資源がない
ご存知の通り、日本には資源がありません
車の製造に必要な天然資源は、日本では採れないものばかり
それを輸入し、材料に加工し、さらに車に加工し、製品として輸出する
それが今までの流れです
ところが、現在出てきた流れは、先ほどの図をみる限りでは、投資、という流れですね
海外現地生産を行うにしても、結局はモノを作って販売しているわけですが、国内生産したものを海外輸出する、という流れは減って、モノは海外で作る、それで得た利益は国内に還流させる、という流れになっていている
ということは、だんだんと知的財産みたいに形のないソフトウェアで稼ぐ傾向に日本も向かっている、ということになります
産業構造は変わりつつある
第一次産業(農業など)から第二次産業(工業)、そして第三次産業(サービス産業)へと産業の主軸が移って行ったのは、歴史が示す事実です
経常収支の移り変わりを見ても、それは明らかです
また、都市のドーナッツ化現象(中心部は地価が高いので人が住まず、周辺の郊外に人が住むようになる)のような現象が、経済においても起こっている(国内生産から海外生産)
そのドーナツ化して別れた中心部も周辺部も、それぞれにまた内と外を抱えています
どういうことか、というと…
中心部における周辺部的な要素と、周辺部における中心部的な要素ともいえると思うのですが、
あるいは、
日本国内における日本人とマイノリティ、外国おけるその国の住人とマイノリティたる日本人、
というように、
何事も両面の要素を抱え込んでいるわけです
固定してみているだけでは見えないものがあります
産業で言えば、国内における外国企業、外国における日本企業のように、それぞれに内の要素と外の要素を抱え込んでいる
そう考えると、
産業の構造は、ひとつの箱の中にまだ箱がある、という入れ子状態になって、複雑化していることになります
その流れが、経済にも反映されています
- 国内生産が増える 代わりに企業は現地生産は減らすので、所得収支は減る
- 国内生産が減る 代わりに企業は現地生産を増やすので、所得収支は増える
となるわけで、今までよりも指標で表される数字が参考にならなくなってきてしまっていることになるわけです
まだまだある流れの変化
大から小への変化
- 大きな行政単位から連邦制、地方分権へ
- 一つの大きく強力な塊から小さい主体の分散したネットワークへ
こうしていくことで、変化に柔軟に対応し、要望を叶える必要が出てきている、といえるのでしょう
互いに活発にやり取りすることで、活力が生まれ、発展する
だったら、そのことは、入れ子状態になっている他の事象にも当てはまるはずです
度合いに注意しながら、という必要はありますが、
- 外国人を受け入れる、経済が発展するかもしれない
- 外国に進出する、進出先の国も進出した企業も発展するかもしれない
という関係を築ければ、メリットが大きいですよね
そのとき、
お互いに排斥せず、受け入れ、礼節を持ち尊敬することは大事です
経常黒字を稼ぐ必要性とは
では、とにかく貿易して黒字を増やす意味はどこにあるか、ということですが、最終的にはその国の人々の所得を増やすことが目的になるわけです
今後の日本は、人口が減少し、高齢化していきます
団塊世代が75歳以上の後期高齢者になるのは2020年代。そうなってくると、貯蓄を取り崩すことになります
働く人が減っていくし、高齢化していく
誰が高齢者を養っていくのか?働く世代になるわけですね
だから、働く世代の所得が増えてもらわないと、どうにもならないわけです
また、もし黒字がなかった場合、
日本はエネルギーも海外に依存しています。政治状況によって燃料価格が上昇すると、外国(産油国)に支払うお金が増えるわけで、つまり日本からお金が流出していくことになります
そうすると、明らかに損失が増えていくことになる
そのことにより経済が停滞すると、株価も下がるだろうし、輸出が減る
そうなると為替も円安になります
円安になると、所得がない人にとっては、輸入品の価格が上がってしまうことになり、生活が大変になる!
とにかく収入を増やさないと、支出を多くできません
当てがないのに「借金すれば」とも言っていられないですし(国の借金は1100兆円)
黒字が無くなったらどうなる?
経常収支だけでみれば、経常収支が赤字でもいいんです、国内の経済がそれ以上に活発ならば
しかし、現状はそんなことないですよね
なので、稼げるところで稼いでおくことが大事になってきます
両面で考える必要があります
- 国内向けには 経済を活発にする
- 国外向けには 輸出あるいは海外投資、現地生産などを活発にする
そのために、魅力ある製品を作る力をつけないといけない
それは何かというと、収益が上がる分野の育成ですよね
今後の流れで言えば、情報産業だったり、金融だったりするわけです
今後必要な力とは?
車でいうなら、今のところ、海外において日本車というのは売れています
信頼性が高く、低燃費です。つまり、高性能
その特徴を新しい要素を取り入れていきながら伸ばしていく必要があります
- クルマも電動化、情報産業と関わりが深くなっていく
- 機械としての車は、すでに製品として大差ない状態 コモディティ化していく
とすると、
今後車で差がつくのは、
ソフトウェアの差、センサーの差、となるはずです
じゃあ、どうしたらいい(悲観することもない?)
自動運転を想定して言うなら、
そのソフトウェア開発は、もしかするとアメリカの企業に握られてしまうことでしょう
日本は、それに対し、使用料を払って製品を作っていくことになる
ですが、
ハードウェアがないとソフトウェアは動かないです
ハードウェアの製造においては、技術的に日本に利点があるはず
問題は、
どちらが産業としての利益率が高いかです
使い勝手がいい製品とは、ローカライズ、すり合わせして、痒いところに手が届く製品だと思います
そのとき、ハードウェアは車の使い勝手を具体的に決めるものです
ソフトウェア企業の下請けとして日本の自動車産業が位置付けられてしまう、と言う予測もありますが、方向を見失わなければ、利益を上げることが可能なはずです
それに、何でもかんでも電動化するわけではない。主に先進国においての話です
受け入れて、咀嚼し、再定義できれば、それは新しい価値です
それに、
世界には発展し続けている国がまだたくさんあるので、そういう国に向けて壊れにくい日本車が持つ製品としての優位はある
利益を上げつつ、技術を磨いていけば、少なくとも倒れることはない
きっと、日本においては、モノを加工して売り上げて収益を上げ、それで生きていくしかない
それを日本国内でするか外国でするかの違いはあったとしてもです
経済がサービスや投資に向かう流れは変えられないのなら、実のある投資を行えばいいのであって、それに向けて考え方を変えたり制度を変えていけばいい
だから、
そこまで悲観することもないだろう、と思います
ただし、
社会も個人も、変化し続けていけるのなら、です